1992年バルセロナオリンピック柔道男子71キロ級金メダリストの古賀稔彦氏が、2021年3月24日、癌で亡くなりました。53歳という若さでした。
心からお悔やみ申し上げます。
平成の三四郎
「三四郎」の由来は、小説「姿三四郎」の主人公からきていて、後にアニメや映画になったことで最強の柔道家=○○の三四郎と呼ぶようになったようです。
古賀稔彦氏が平成の三四郎と呼ばれる所以はその強さにあり、特にキレのある一本背負いは惚れ惚れする美しさでした。
また、1992年のバルセロナオリンピックでは、試合前の練習中に左膝に大怪我を負ったにも関わらず金メダルを獲ったことで、「さすが平成の三四郎」「やっぱり三四郎だ」と、日本中を魅了しました。
試合前の練習中にケガをしてしまった古賀選手ですが、その時の練習相手だった吉田選手に対して怒ることもなく「俺は優勝するから大丈夫だよ」とおっしゃっていたそうです。
それくらい自信を持っていたこともあると思いますが、怪我をさせてしまった吉田選手に対しての気遣いもあってそのような言葉をかけたのでしょうから、本当に素晴らしい人です。
余談ですが、この時の膝の怪我ですが靱帯損傷だったそうで、私も経験あるんですがとてもじゃないけど試合なんて出来ないです。
試合どころか、普通の人は畳の上に裸足で立つことも出来ないと思います。
ギプスでガッチガチに固めてもらってやっと立てる状態なんです。
本当に凄いと思います。
1992年バルセロナオリンピック、2000年引退
男子柔道では、平成の三四郎・古賀稔彦選手を筆頭に、95kg級の小川直哉選手、78kg級の吉田秀彦選手も注目されてましたね。
吉田選手は古賀選手の試合の前日に金メダルを、小川選手は銀メダルを獲得しています。
また、入賞は逃したものの65㎏級には、2019年世界王者丸山城四郎選手の父丸山顕志氏が出場していました。
そして何より話題だったのが、女子柔道が正式にオリンピック競技になった大会でもありました。
48㎏級田村亮子選手、52㎏級溝口紀子選手、72㎏級田辺陽子選手と金メダル確実と注目されていましたが、惜しくも金メダルには届かず銀メダル獲得という結果に、試合直後の田村選手の呆然とした表情が印象的でした。
柔道では金メダル量産の期待が高かったので、結果的に金2つ銀4つ同つという結果で若干残念ムードが漂いましたが、そんな中、負傷しながらも期待通りに金メダルを獲得した古賀選手の偉業は、後世に語り継がれることでしょう。
そして、2000年の引退後は全日本女子チームの強化コーチを務め、2004年のアテネオリンピックでは63㎏級の谷本歩実選手を金メダルに導きました。
試合後に、谷本選手と抱き合って喜ぶ姿が思い出されますね。
本当に残念でなりませんが、これからも古賀さんが育てた沢山の柔道家の皆さんが活躍されることを応援したいと思います。
合掌
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